スッキリ備忘録

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勃ちません

【雑談】おっぱいとはコミュニケーションである

◼️前置き

チキンラーメンって時々無性に食べたくなるよね。

で、スーパーとかコンビニとかで買って家に帰って作って食べると、中盤くらいからめっちゃ飽きるんよ。

ていうかなんならお湯注いだ時に湧き立つ匂いでもう満足して飽きるよね。

え、僕だけ?


チキンラーメンに限らず、そういう『食欲を誘うけどいざ食べ始めると「もうええわ…」ってなるモノ』って結構ありますよね。


この現象の際たるモノとして、僕の場合は『おっぱい』があります。


おっぱいのことは大好きだし常触りたいしおっぱいを触るためだけにセクキャバとかおっぱぶとかに行くけど、いざ触り始めるとなんか割とすぐに飽きちゃう…。

飽きるというか、しっくりこないみたいな?

せっかくおっぱぶに行っても碌におっぱいを触ることなく、逆に僕のおっぱいを触ってもらっている…。

ソープで前戯や本番中におっぱいを触っても、なんかすぐ触るのをやめちゃう。

触る前(お店に行く前)はあんなに触りたかったのに…。

特に最近はその感じが強くて、「僕は本当におっぱいのことが好きなのか…?」と不安になってきた。


なんでなんだろ。

理由を整理してみた。

 

 

◼️理由1:ギャップに意気阻喪するから

一言におっぱいと言っているけど、そもそも『おっぱい』の定義って何だ?


『おっぱい』を分解した時、構成する要素や情報は多い。


『おっぱいの大きさ』『おっぱいの形』『乳輪や乳首のデカさ、形』『肌の色』、他にも垂れ具合、柔らかさ、母体の外観…等々が挙げられる。

母乳の味とか量とか、まだまだ挙げてない要素もあるけど、つまり言いたいのは、これらを一絡げにするとおっぱいの輪郭がぼやけるし、おっぱいに対して失礼じゃないのか?ということである。

これらの組み合わせこそがおっぱいなので、「おっぱいについて語る!」といっても、まずはどの要素を、あるいはどの要素の組み合わせを語るかを明確にしなければ話が拡散してしまうのである。

 

 

でも普段、ふと「おっぱい触りてぇ~」って思う時って、この組み合わせを整理しているか?


「B90W61H89身長156cm24歳色白なむちむち保育士の童顔にそぐわないたわわなおっぱいを園児たちが帰宅した後のお遊戯室で背後から鷲掴みにしてぇ~」みたいな感じで対象と状況を明確に思い浮かべた上で「おっぱい触りてぇ~」って言ってるわけじゃないよね。

もし何か思い浮かんでいるとしても、おそらく自分の好みのおっぱいというよりも、一般的なおっぱい像や、直近で見聞きしたおっぱい像をぼんやりと思い浮かべているのではないだろうか。


僕は先程「おっぱいを構成する要素はたくさんあるので、一言におっぱいを触るといっても、そのおっぱいに関する情報を明確にする必要がある」という旨の話をした。

けれど実際は、何気なく、されども欲求をもって「おっぱい触りてぇ~」と言う時の「おっぱい」の方が、僕たちにとっては馴染みがあるのではないだろうか。


巨乳好きの人はGカップくらいのおっぱいを、

貧乳好きの人はBカップくらいのおっぱいを、

特に主義のない人はDカップくらいのおっぱいを思い浮かべているはず。


つまり…『おっぱい』は、それを思い浮かべる人の好みに合わせて、無意識に、自動的に、経験式の中で『最適化』される。


『おっぱいが好き』という人はいても『おっぱいが嫌い』という人はほぼほぼ存在しないと思う。

なぜならおっぱいを思い浮かべる時、そのおっぱいは『ベストなおっぱい』あるいは『ベターなおっぱい』だからだ。


風俗でおっぱいと触れ合う時、頭の中にはこのベストなおっぱいがいるので実際目の前にあるおっぱいとのギャップは当然ながら発生する。

このギャップのせいで少なからずがっかりしちゃって目の前のおっぱいに対する興味が薄れてしまうのかもしれない。


勝手に期待して勝手に失望するなんて、なんとも自分勝手で情けない話だけれど。

 

 

◼️理由2:おっぱいを触った時の達成感が少ないから

おっぱいを触った時のゴールってどこ?

極端なことを言うと、性行為におけるゴールは絶頂だけど、おっぱいに関してはその絶頂へ向かうための寄り道でしかないわけじゃん。

この寄り道の役割…『おっぱいを触る』ということの役割って、『自分の気持ちを昂らせる』『相手の気持ちを昂らせる』だと思っている。

で、おっぱいを触ったらもちろん気持ちはある程度昂ぶる。

ただ達成感というか、してやったり感は薄いよね。

おっぱいを見ただけで「おおお、おっぱい!!?」とはならんし、おっぱいを触っただけで「な、なんだこのむにむにしたものは…マシュマロ?肉まん?いや、おっぱいだあああ!?」ってジャーキン!と勃起するなんてことはない。

どうしても『ある程度昂ぶる』止まりだ。

キスとか本番が粘膜交換しているのと比較すると、どうにもインパクトがないと思ってしまう。

おっぱいを触っていても僕は絶頂しないし、女の子を絶頂させることもできない。

(もしできる人いたらコツを教えてください…)


おっぱいは好きだけど性的接触という見方をした時に達成感がいまいち得られないため、早々におっぱいパートを切り上げているのかもしれない。

風俗では時間に制限があるしね。

 

 

◼️理由3:コミュ障だから

おっぱいを語るときにまず真っ先に議題に挙がるのは『巨乳派?貧乳派?』だと思う。


普通サイズのおっぱいは『貧乳派』に含むと思うので、『普通乳&貧乳派』かな。

とにかく『巨乳派か否か』の対立構図を議論する、あるいは議論を見かけることが多い。


もちろんこの議題に正解はないと思う。

人それぞれ好みがあるからね。


強いて結論を導き出すのであれば、

『おっぱいには優劣も差別もない。

    おっぱいには等しく価値がある』

が良いと回答だと思う。


全てのおっぱいは、おっぱいというだけで価値がある。


でもこう書くと、おっぱいを高みから値踏みしているようで、なんで上から目線やねんって感じがする。


だから、

『おっぱいの前に、男は等しく価値がない』

ともいえば角が立たないですね。

故におっぱいに憧れる。

どこぞの軍曹みたいやな。


まぁそんなね、巨乳も貧乳も尊重する波風の立たない優等生な回答は置いといて、僕自身が『巨乳』と『普通乳&貧乳』のどちらが好ましいかというと。


巨乳がいいですね。


おっきいおっぱいもちっちゃいおっぱいもどっちも好きなんだけど、強いて言うならおっきいおっぱいの方が色々な意味でいいですね。


でもこれは本当に、どちらかというと、というレベルだ。

例えるなら、おにぎりのツナマヨと梅、どっちがいい?と聞かれて、うーん、どっちでもいいけどどちらかというとツナマヨかなぁ?くらいの感覚だ。

本当にどっちも好きで、どっちを渡されても喜んで食べる。

『どっちでもいい』は『投げやりな選択拒否』ではなくて、『ほぼ同様の好感度の高さなので選択に困る』って意味合いだ。

マイナスな意味ではない。


ただこれ実際、多分100回聞かれたら90回はツナマヨを選択すると思う。

いや本当にどっちも好きなんだけど、多分高い確率でツナマヨを選択すると思う。

ツナマヨか梅かを選ぶ、は要は1か0の選択だ。

一つのおにぎりの中に、ツナマヨと梅が混在することはないし、二つのおにぎりを選択することもないという前提だ。

ならばほんの僅かにでも好感度の高い方を選択するのは自然なことだ。

その日の気分で「すっぱいものが食べたい」なんていう梅に対するプラス要素がなければ、おそらく僅差でツナマヨが勝ち続け、そして選ばれ続ける。


僕にとって巨乳と貧乳はそんな感じだ。

僅差で巨乳を選び続けるだろう。

 

 

ではどの部分で巨乳の方が得点が高いのか?

差となったのは何か?

 


『コミュニケーション能力』である。

 

この『コミュニケーション能力』は、『僕自身の』、そして『おっぱい自身の』のコミュニケーション能力を指す。


おっぱいとはコミュニケーションである。

おっぱいは、揉んだら押し返してくる。

乳首をいじると固くなってくれる。

これは僕とおっぱいとの『コミュニケーション』である。


このコミュニケーションは、おっきいおっぱいだとおっきく反応してくれる。

揉んだら跳ね返してくるし、揺らせばぷるぷると揺れる。

でもちっちゃいおっぱいは揉んでも押し返してこないし、揺れない…反応が薄い。

というか『揉む』というのがそもそも難しい。

『つまむ』とか『こねる』が近い。

もちろんこれはこれで楽しいし気持ち良い。

しかしこの『コミュニケーションの差』こそが、僕を、そして世の男性をおっきいおっぱい派にしているのではないだろうか。


ちっちゃいおっぱい派の人はおそらく、自身のコミュニケーション能力が高いのでおっぱいに対してしっかりアプローチできるのであろう。

男として尊敬する。

僕もちっちゃいおっぱいの見た目はプリティでキュートで大好きだが、いざ対面するとコミュニケーションが難しく、黙りこんでしまう。

触れ合うアイデアがなかなか浮かばない。


上記の通り、巨乳の方がコミュ力に優れるので僕はどちらかというと巨乳派だ。

しかし巨乳であろうと貧乳であろうと、僕自身がきちんとコミュニケーションしなければ、上手に反応することはできないだろう。

僕自身おっぱいに対するコミュ力が全然ないので、うまくおっぱいとコミュニケーションできない。

なのでおっぱいを見かけても一歩引いてしまう…のかもしれない。

 

 

◼️理由4:EDだから

ちょっと脱線するけど、パイズリってあるじゃないですか、パイズリ。


僕は自分以外のEDの人と話したことがないからわかんないんだけど、僕の中でのEDあるあるとして『EDにパイズリは無意味』というのがありまして。


何故かって?


答えは簡単、パイズリは勃起させるための『パワー』が低いからです。

おっぱいは柔らかくて触り心地はいいんだけど、勃起させるためには…特にED持ちを勃起させるためには『力』が必要です。

強い刺激が必要です。

優しさだけでは勃起しません。

柔よく剛を制すなんて言葉がありますが、おっぱいは柔らかすぎるのです。

なのでパイズリで勃起させることは難しいし、勃起した状態でパイズリしてもらっても萎えてしまうことが多い。

パイズリという言葉の響きとかシチュエーションとか、AVで見る分には最高に好きだけど、いざ体験すると露見する圧倒的パワー不足感。

トホホ、EDは辛いゾ。


その点、手コキはパワーが高い。

手自体は柔らかいんですけど、チンチンを握る強さが自在だし、グラップリングをキメられるため非常に強い。

ED男と総合射精格闘技をするのであれば、間違いなく胸や膣より手技の方が重要になります。

剛よく柔を断つ、が何よりも重要なのです。

風俗で時間が終了に迫ると、嬢が手コキに切り替えてパパッとイカせるなんてことはよくありますもんね。


そういうわけで巨乳の方々の誇るパイズリ、そして男のロマンでもあるパイズリは、インポ的にはコンディションを選ぶため取り扱い注意なのである。

『飽きる』とか『しっくりこない』とか以前に、悲しいことに勃起しないのである。

 

 

◼️理由5.1:もっと好きな部位があるから

おっぱいは大好きだけど、おま◯この方が10倍好きなので、限られた時間をおっぱいではなくおま◯こに費やしたいから。

 

 

◼️理由5.2:もっともっと好きな部位があるから

おっぱいは大好きだしおま◯こも好きだけど、僕は僕の乳首を攻めてもらう方が100倍好きなので、おっぱいを触るより僕の乳首を触って欲しいから。

 

 

 

◼️結論

『おっぱいは何故飽きるのか?』に対しての回答は以下の通りだ。


①ギャップに意気阻喪するから

②達成感が少ないから

③コミュ障だから

④EDだから

⑤他に好きな部位があるから


まだあるかもしれないけど、この5点が主な理由だ。


これらを踏まえても未だに整理がつかないんだけど、おっぱいってなんであんなに魅力的なんかねえ?

飽きることがわかっていてもおっぱいを触るためにお金を払い続けている。


あと、無料のおっぱいは守備範囲外なのに街とか電車とかで女性を見かけたときにまずおっぱいを見てしまう。

結局はトータル的に全部見るんだけど、やっぱりおっぱいに着目する割合が多い。

一般の方のおっぱいなんて本当は全然見るつもりはないし、見るのはダメだと思っているんだけど、眼球が勝手に動き、脳が自動で解析してしまう。

もちろん見るといっても気付かれない程度というか、気持ち悪がられないように気を付けているが。

「女性は胸を見られていることに気付いているんだからね!」という女性は多く、まぁそうなんでしょうけど、でも『胸を見られていることに気付く』のは『胸を見られていることに気付いた時』だけです。

実際その1000倍は見られていると思います。

僕なんて少ない方だと思います。

僕も気付かれないよう注意はしていますが、もし気付いてしまい嫌な気持ちにさせてしまったら申し訳ないです。

精一杯素知らぬ顔をしているけど、同時にお金を支払う覚悟も決めていますのでお声掛けください。


結局僕は、おっぱいが大好きなんだよな。

そしてそれ以上に乳首を舐めてもらうのが大好きなんだよな。


明日からもおっぱぶやセクキャバに行くし、定期的にチキンラーメンを買うだろう。